HOME › 中野みゆきプロフィール ›  松田学術奨励賞を受賞して

松田学術奨励賞を受賞して

ここに掲載した文章は、私が日本歯科麻酔学会の認定医を取得した当時のものです。改めて読み返す時、肩肘張った内容に気恥ずかしさを覚えると同時に、この頃のひたむきな思いを忘れることなく、歯科麻酔科医である前に一人の人間として、皆さんと向き合っていきたいと襟を正す自分がいました。

「2001年〜忘れ得ぬ年」

 麻酔科の朝は早い。プレメディに遅れまいと、化粧もそこそこに家を飛び出す。雪の時期ともなると、足元の悪さと頬を突き刺す海風に「新潟の冬は最悪だ」と、イライラがつのる。

 病院の玄関を抜け、タイムカードを押すと、8時。
今日は何とかゆっくり着替えられそうだ。私は、平成9年に日本歯科大学新潟歯学部を卒業し、1年間の臨床研修医生活を終えた後、歯科麻酔学教室(現、歯科麻酔学講座)に入局、麻酔科医としての第一歩を踏み出した。それから今日まで、時には立ち止まり、時にはつまずきながら、走り続けてきた道のりを、今、振り返ってみようと思う。

元来、自分の欠点、あるいは自分に足りない何かというものは、他人に指摘されない限り自覚することは難しい。医療は、ある意味、独りよがりに陥りやすい一面を持っている。新人と言われる頃は、本を読み、先輩の治療を見学して、なるほどと感心する。毎日が新しい経験の連続で、目の前の問題解決に追われているうちに数年が過ぎる。

問題はそれからだ。技術的な問題は一通りクリアーした。ノーマルな症例ならまず挿管できる自信はある。小児麻酔、障害者麻酔、長時間麻酔からファイバー挿管まで。次第に他人の診療を見学する機会は少なくなる。合併症への対応は?本当にこれでいいのか?医療に携わるものは常に厳しい自己評価を怠ってはならない。
これは現在の私自身に対する戒めだ。

最近、インプラント手術に立ち会った際、神経性ショックと思われる血圧低下と徐脈に冷や汗をかく経験をした。その日の夕刻、ある先輩から「この患者さんに限ってと思っちゃうんだよね」「当事者は訳が解らなくなるんだよ」と、慰めにも似た厳しい意見をもらった。

認定証(第825号)をいただいた直後だけに、非常に情けなく、悔しい思いをした。その晩は誰かに追われる嫌な夢で目が覚めた。

麻酔科領域では、患者さんと直接向き合う時間が短く、担当医という認識が薄い。対診時には全身の五感を駆使して情報収集に臨むが、やはり、検査データや既往歴と睨めっこというのが現実だ。

患者さん側も、手術前の緊張の中、突然、「今度、麻酔を担当することになりました」と言われても、それどころではないといった様子である。
手術後はなおさらだ。何となく寂しいなと、麻酔科医であれば誰もが一度は感じたことがあるだろう。

それに対して、ペインクリニックでは麻酔科医が主たる担当医として患者さんと接する。ドクターにより、患者さんによって、その診療体系は様々で、千差万別と言ってもいい。諸先輩方の診療を垣間見る度、医療とは、机上の理論ではなく、経験によるところが大きいということを思い知らされる。

 

話は変わるが、私は大学に入学してから麻酔科医となり認定医試験に合格するまで、4人の身近な肉親の死を経験した。

大学2年の夏、大腿部骨折のため全身麻酔下で手術を受けた祖父が、術後数週間で亡くなった。89歳であった。

大学3年の冬、すでに寝たきりとなっていた祖母の急変を聞き、冬休み前の授業を早めに切り上げて帰省した。その3日後、祖母は混沌とする意識の中、「夕日が沈む」と言って、西の空を仰ぎ見たかと思うと静かに深い眠りへと落ちていった。

歯科医師1年目、もう一人の祖母が亡くなった。祖父を亡くしてから急に老化が進行し、軽度の痴呆も伴っていた。寒さの厳しい2月、誰にも見取られることなく、一人ベッドの中で冷たくなっていた。

そして、今年に入り、叔父が膵臓癌のため他界した。
疼痛の訴えが少なかったため、麻薬系の鎮痛薬は一切使用されなかったようだ。最後はドーパミンの点滴を自ら引き抜き、血圧低下と同時に意識混濁に陥った。チェーンストーク呼吸が始まり、大きな吸気を最後に呼吸が停止した。ナースステーションの前から、心電図モニターが異常な徐脈を示しているのに気づき、駆けつけた時には心停止の状態であった。自分でも驚くほど冷静に心マッサージを行った。気付くと、先程まで入っていたはずの上顎のデンチャーが見当たらない。有意識下でも咽頭部に入ってしまうのだから、意識消失時であれば当然か…。

告知から6か月、宣告通りの死であった。悲しみの中、私は他の家族とは違う別の感情が自分の中で沸き起こってくるのを感じた。

叔父の死を通して教えられたことがある。それは医師と患者の出会いの在り方だ。医師、歯科医師に必要なのは診断能力や治療法の習得だけか?それは、明らかに否だ。医師、歯科医師にとっては100ある症例の1つでも、患者さんはかけがえのない一人の人間であるということを忘れてはならない。

私にとって、認定医試験は、知識の再確認と苦手分野の克服、また客観的評価を得られるという点で、非常に有意義であった。

記述試験では、開始と同時に鉛筆を握る手に汗が滲み、何度も手を拭った。口頭試問では、異常な心のドキドキ(Tachycardia)を悟られまいと、声を振るわせながらまくし立てたようだが、今となっては、それが効を奏したのでは?と思っている。

この度、思いがけず松田学術奨励賞という名誉ある賞をいただき、身に余る光栄と恐縮したのはもちろん、この上ない励みとなったことは言うまでもない。

最後に、ここまでお導き下さった柬理教授、佐野助教授はじめ医局の先生方、応援してくれた家族の温かい理解と協力に心からの感謝の意を表し、ペンを置く。

(日本歯科麻酔学会雑誌、30(1),141-142,2002)

≪戻る